「Coming Home」メイキングエピソード②
虹の女神アイリスから届く紺色の手紙
~ もうひとつの「虹にっき」~
街でふと見上げた、雑貨店の看板に。
通りかかった幼稚園の、カラフルな壁の中に。
静かなカフェの本棚、旅の本の表紙に。
人生を導く言葉がならぶ本の、大切な最後の章に。
あざやかに、虹があらわれる。
いただいた和菓子を包む、和紙の色どりに。
FМラジオから流れる見知らぬ曲の、歌詞の中に。
花の庭を走り抜けるちいさな姉妹のワンピースに。
ファンタジー映画で、少年の見上げる空の中に。
そっとさりげなく、虹がひそむ。
『私たちは、虹とともに暮らしている』
リトルプレス創刊号の特集を「虹とフラワーエッセンス」と決める。
すると待ちかねたように、虹のシンクロが降ってきた。
日々の暮らしの中で、色あざやかに、虹が目覚める。
ミラクルな七色が、日常のあちこちに描き出される。
こっちにも。
あっちにも。
虹にまつわる何かが、頻繁に目に飛び込んでくるようになった。
虹は、普遍的なシンボルのひとつだ。
大昔から現在まで、街角のちいさな看板に描かれることもあるし、古くから語り継がれる物語の中に出現することもある。
時に、梅雨の時期に時々見られる身近な気象現象として。
時に、雨上がりの小さな幸運のシンボルとして。
そして時には、人々の集合意識が変容したのちに象徴的に空に現れたりと、大きな意味合いを持つ景色としても扱われてきた。
そうして虹は、時を変え場所を変え、繰り返し私たちの前に出現してきた。
そして実のところ、そう珍しいシンボルでもない。
けれど。それにしても。
虹のシンクロは絶え間なく、続く。
時に続けざまに、ぽんぽんぽんと、弾むように連鎖する。
このとき、私はリトルプレスの創刊号に載せるための、ひとまとまりの文章を書いていた。
そのために、世界のアイリスからつくられたフラワーエッセンスを、順番に飲み続けていたのだった。
アイリスという植物は、古来より神話と結びつけられ、虹の女神の宿る花とされている。
そして各国で、さまざまなプロデューサーたちの手によって、その花はフラワーエッセンスのボトルとなっていた。
世界を巡るボトルを、あたかも旅をするかのように、1本、1本と、ゆっくりと体験しながら、私は日常に描かれた虹を、リズミカルな流れで見続けていた。
その連鎖がしばらく続いたある日、「もういいね」と言わんばかりにふっと、それは唐突に消えた。
なぜだろう、と首をかしげて。
そっと、ハートに聞いてみた。
「空に探さなくても大丈夫」
「虹は、ココにいつでもあるよ」
あぁ、そうか。
リトルプレスの創刊まで毎日「虹にっき」をつけると決めてから、いちどは本物の虹を空に見つけたいな。ぱちりとシャッターを押したいよ。
私、ずっとそう思って、時々物欲しげに空を眺めていたんだった。
雨上がりにカメラを掴んで、あわてて部屋を飛び出したこともあったなぁ。結局、建物の隙間から見上げた空の一角には、うまいこと虹は見つからなかったけれど。
そっか。
そんな私に、きっと伝えたかったのだろうなぁ。
そんなふうに必死になって。
しっかりと目に見える、くっきりと写真に写る、現実界の七色を求めて。
いつも頭の上ばっかり、探さなくてもいいんだよと。
「私たちは、虹とともに暮らしている。
だから、どこにでも虹は見つかるのだよ。
たとえば、私自身のハートの中にも。
とびきり美しい永遠の虹が、もうかかっているのだよ。」
そんなふうに、耳元で囁かれた気がした。
虹の橋を優雅にわたる「幸福のメッセンジャー」。
紺色のドレスの裾を翻しながら、見えない空を色あざやかに駆け抜けてゆく、美しき女神アイリスに。
そっと。
やさしい七色の声で。
2021年5月10日
Coming Home編集部 浅野典子